『花咲く 村の朝市』

 深夜、予定より3時間遅れてようやく目的地の小さな町に到着した。
バスマニアが泣きながら突進していきそうな、60年代、三菱製バスの乗り心地を楽し余裕なんて日没前には無くなっていたけれど、隣の席の人からもらったトウモコシや餅米を葉唐辛子で巻いたものを一緒に食べながら身振り手振りで話してたので苦ではなかった。

山道を登りきれず坂の途中でエンストして、来た道をそのままバックしていくような力の抜け具合なのでこんなにも時間が過ぎてしまう。
そんな状況でもここぞとばかりに下車して道端でトイレを済ます乗客を車内から眺めていると、イライラしている自分がなんだか間抜けに思えてくる。
東京と東南アジア各地の山奥を何度も行き来していると、自分の時間感覚の変化に気付く。
何時発、何時着という考えはここにはない。ここからあそこへ行ければそれで良い。


町外れに小さな宿を見つけ、施錠されたドアのガラス越しに見えたソファで寝ている男をドアを叩いて起こして部屋を確保した。眠るとすぐには起きられそうにないので、バックパックを部屋に置きシャワーを浴びて少し一息ついてから、カメラバッグを肩に町の中心部にある小さな市場へ向かった。

早朝に到着予定の首都からやってくる長距離バスの乗客を、ベンチで寝て待つバイクタクシーの運転手を出来るだけ驚かさないように肩を優しく叩いて起こした。突然の外国人の登場に驚いた様子の男に周辺の村で開かれる朝市の情報を教えてもらう。「花は売られている?」「その村まではどのくらい時間が掛かるの?」
野良犬たちが徘徊するオレンジ色の街灯に照らされた東南アジアの田舎町脳内時計が壊れているのか、やけに興奮気味の外国人と、まだ到着まで2時間近くある長距離バスを気長に寝ながら待っていたバイクタクの運手。ドローンの飛ぶ高さでこの光景を見たらさぞかし奇妙でおかしいだろう。

夢のなか、のような。

 辺鄙な村の朝市へ行くのに近くの町から誰かの運転するバイクの後ろに乗らったり、前日に借りたバイクで真っ暗闇のなかを心細く野良犬たちにえならゆっくりと。そうして無事に辿り着いた村の朝市で目にる、朝の透明な光浴び始めた花たちを、まだ彼らが寝ぼけているうちに素写し取る。

足元に伸びる影がはっきりと目に付き始めた頃、遠く向こうからこちらに手を振る笑顔の男が見えた。ぼぅっとした頭で考える。そういえばこの村へは男の運転するバイクの後ろに乗ってやって来たのだった。

その男の顔を思い出そうとするが、眠り始めた頭は反応せず。焦点の定まらぬ、覇気のない目で男の様子を窺いながら、ゆっくりと手を振り返してみる。



匂いと香りに出会う旅』

 深夜のスコールで泥濘んだ足元の様子が、ようやく見え始めてきた。日の出前なのに市場は買い出しにやって来た人々予想以上に混み合っている。すれ違う人の表情が、白み始め空で徐々にぼうっと浮かんで来た。カメラを向けてシャッターを切る男の存在に気付き驚いた人と目が合う。互いに顔になって再びビニーシートで覆われた暗い市場へラをえて紛れ込む。市場の裏で解体される豚の叫びが聞こえて、朝霧に紛れて血の匂いがする。野菜、魚、人間、物、肉・・・様々な匂いが行き交うなかを、野生の嗅覚を取り戻野良犬のように徘徊する。

暗がりのなか天井から吊るされた豆電球ひとつで明かりを取った、仕入れて来たばかりの肉を分厚いまな板と斧のような包丁で大胆に切り分けている老婆に声を掛ける。皺だらけの老婆が作ったヌードルにいか調味料を、錆びた小さなスプーンで入れて、皿に盛られた数種の香菜をたっぷりとのせてからゆっくりと啜る。
満足げな表情なった異国の若者を見て、近くに座る男がこちらに何か話し掛けてくる。老婆がその男に笑いながら声を掛け、沸かしたてのお茶をビージョッキに入れてこちらへ持って来る。

いきなり反転した季節で曖昧になってしまった心と体の輪郭が、ジャスミンの香りに包まれ、ゆらゆらりとき上がる。